「「考える」ということ」  平成24年度卒 安西智洋
 

「考える」ということ



平成24年度卒 安西智洋

 今回の原稿執筆にあたって、何を書いたものかと悩みました。悩んでいるうちに月日が経ち12月も半ばになった頃、ついに就職活動が始まってしまいました。これには先輩方は違和感を覚えられるかもしれませんが、僕の年から表だった就活は12月から、と取り決められていたからで、決して僕が怠けていたわけではありません。そんなわけで、学生生活について振り返る機会が得られました。ここではそれらについて書いていきたいと思います。学生の身でどの程度の文章に仕上がるか怪しいところではありますが、ご容赦いただければと思います。また、これは自分の反省を多分に含んだものになるので、後輩の方々にあてた言葉が多くなっています。先輩の方々には「そんなことは当たり前だよ」と笑っていただければ幸いです。
学生生活を振り返って、もっと「考えて」日々を過ごしてもよかったかな、と感じています。「考える」と言うと小難しいことが連想されて顔をしかめてしまいそうですが、僕は「選択肢を広く持つ」程度のニュアンスだと思っています。例えば、何か物を買う時、たいていは必要か、必要でないかで判断するかと思います。いわゆる無駄遣いをしないように選ぶ方法です。しかしながら、これを買ったらどんなことに使えるのか、何ができるのかといったことを考えるとまた違ったものが見えてきます。このような話をするからには、元となった自分の経験談があるわけですが、世の中には便利な製品が多くあって、「現状で事足りているから必要ない」と言って使わないままなのはもったいない、とだけ書いておきます。話が逸れましたが、無駄だと思われたことを考えたおかげで日々の生活が便利になったということです。無駄遣いに対する言い訳だと思われるかもしれません。まさにその通りです。学生なんて無駄なことをやってなんぼだと思っています。無駄というと意味のないことのように思われがちですが、本当はそうではないと思います。良い結果や目に見えた成果が残らないだけで、何か行動を起こしたのであれば、そこにはなにかしらの経験が残るはずです。そのようにして得た経験は次の行動に生きます。もっと重要なことを成功させるきっかけになるかもしれませんし、また無駄なことを見つけて次の経験につながるかもしれません。そして、さらに得た経験が次に…と広がっていくはずです。最終的にどれぐらい広がった経験になるかは、その人がどれぐらい「考えて」行動し、無駄から経験を拾うことができたかによって決まってくると思います。
今は買い物を例に出しましたが、なにもこの話は買い物に限った話ではありません。学生生活の中では様々なチャンスがあります。学業であれば自分の興味のない、もしくは関係のない分野でも手を伸ばすことができますし、部活動であれば練習に明け暮れるのもいいですが、活動の中で他大学の人と交流を深めたり、OBの人からいろいろな話を聞き出したりもできます。アルバイトであれば、自分の知らなかった業種に関わって見聞を広めてみる、といったところでしょうか。中にはチャレンジしてみた結果、どこかで躓いて無駄が発生することがあるかもしれません。それでも、きちんと「考える」ことができていればその無駄からは貴重な経験を引き出すことができます。また、そのような無駄が許されるのは学生の特権だと思います。
まとまりのない文章を偉そうに書いてしまいましたが、まとめてしまえば「時間のある学生うちになんでもやっておけ」ということです。時間やお金を無駄にしてしまうかもしれないから、といって現状維持に留まるのはそれこそもったいないです。なので、後輩の方々にはぜひ色々なことを「考えて」学生生活を送ってもらいたいと思います。
最後になりましたが、今後もよりいっそう名古屋大学ライフル射撃部が活躍していくことを願っています。お付き合いいただきありがとうございました。


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